このブログ動かすの久しぶりだなあ。なんか、文章にしておかなければならないと思った。
自分語りになるかもしれない。
読んでいてつらかった。この一言に尽きる。
絵名は、中学生のとき、画塾に通うのを一度辞めてしまって、それから二年の間ちゃんと絵と向き合ってこなかった(いや、ニーゴでは描いていたのだろうけれど、体系的な勉強をしてはいなかったのだろう)。絵名はそんな自分がニーゴに置いていかれるかもしれないと感じ、絵の勉強をしようと決意、かつて通っていた画塾の春期講習への参加を検討する。画塾の雪平先生はすごい先生だが、生徒に対して言葉を慮ることはせず、出来てないことは出来てない、上達する姿勢が感じられないと感じたら、上達する姿勢が感じられないとはっきり言うタイプ。当時腕を競い合った画塾の友達は、今も一流大学を目指して毎日画塾に通っていて、今の絵名とは比べ物にならないほど絵が上達していて――。そんな画塾に、自分が納得できる自分に近づくために、三日間の春期講習に通う。絵名は、今の自分がどこにいるか、ちゃんとわかっていて、画塾に通えば、そのことを正面からつきつけられるとわかっていて、それでもニーゴのために、ニーゴにふさわしい自分になるために、今のみじめな自分と、真正面から向き合いに行く。その絵名の葛藤と、覚悟と、屈辱がたっぷり長尺で描かれていて、読むのが辛かった。このシナリオを絵名に感情移入して読めた人がいるんだろうか?
「次のシナリオを開けたら、この後絵名に何が起きてしまうか」が、鮮明に予想できてしまうし、実際そのとおりになるのだ。正直スキップしたかったし、最後まで読めば何かが救われるシナリオというわけでもなかったのだが、ここで逃げてしまったら絵名に示しがつかないと思って、全部ボイス付きで読んだ。そういう、悔しさ、惨めさという感情から徹底的に逃げて、得意な分野でしか勝負しないことで心の安寧を保ってきた自分にとって……絵名はほんとうに眩しく映った。本当にすごい。信頼できる仲間に弱みをさらけ出して、親しい間柄にも柄でもないところが見せられて、なによりそんな自分と正面から向かい合うことができて、それで前に進んでいく絵名が。
でもちょっとしんどすぎる。絵名がそんな想いと覚悟と屈辱を抱えて暮らしているという事実がこの先(ニーゴのキーストーリーでシナリオが動くまで)ずっとのしかかってくるのがしんどくて、イベストを一回読んでから読み返せていない。この文章も全部記憶で書いているから時系列がおかしいところがあるかもしれない。読み終わった後、ちょっとしんどすぎて、イベバナーの泣きかけの絵名すら見るのがしんどくて、しんどくない絵名を摂取したくてゲーム内を探していたが、プロセカ内の絵名(というか、ニーゴ)はほんとうにいつでもしんどそうにしている。ペイルカラーは言わずもがな、シークレットディスタンス・ピクニック・夏祭り・ボクキミあたりまでずっと瑞希のことを気にかけていて、やっと「待ってるから」も板についてきたと思ったところにこれである。高校単位でイベントに参加できない絵名と奏の越境供給は当社比で非常に少なく、メインを張っているピクニックもなぜかキーストーリーがついているし結構瑞希を気にかけているみが強いので、絵名の平和な供給はギリギリ夏祭りぐらいしかないと思っている。それでセカイの4コマをひたすら読んでニヤつく人のコスプレをするハメになった。セカイの4コマは精神安定剤である。穂波とこはねと写真を撮りに行くとか、そういうド平和な越境イベを早急に望むところである。でも限定はまだ来ないでほしい。
絵名の周りにいる人は、ただ絵名を見つめている。パパなんはあいもかわらず絵名に絵と向き合う覚悟があるのか問うてくるし(これも疑問なところではあって、ただひたすらに上達を求めるのではなくて、楽しく絵と付き合う方法だってあると思うのだけど、自分が画家として絵とそういう付き合い方しかしてこなかったのかもしれないし、父親として、絵名の性格からしてそんな温いことはできないと見抜いていたのかもしれない)、母親はあまり干渉してこないし、ニーゴのみんなは絵名の気持ちを大事にして、見守ってくれる(ニーゴの関係は全体的にそうだけど)。奏と瑞希が、絵名の絵はニーゴに必要だろうと思っているのは本当だろうし、もしかしたらしんどい思いをしてまで画塾に通う必要はないと思っていたのかもしれないが、絵名が決めたことは尊重するし、口を出しても無駄だと思っているのだろう。まふゆはただ無関心なだけだろうが。
そこに本シナリオで唯一(言い過ぎ)、絵名を心配して応援の声を届けたのがリンである(大声)。てかこの子はまったく!バチャシン界でもぶっちぎりで心配しいで、おせっかいで、口下手であることよ。まふゆが風邪を引いた時、様子を見に来たのもリンだったし。その心配の様子はリンのサイドストーリーの話なので詳しくはしないが、簡単に言うとめっちゃ心配している。「できるなら、苦しんでほしくない」という我々(オタク特有のクソデカ主語)気持ちを代弁してくれるのもこのリンで、でも本人に直接言うような子ではなくて、まったくも~~~~この子は~~~かわいいな~~って感じである。ニーゴのリンはバーチャル・シンガーとして、ニーゴのみんなに、ただ歌を届ける。それが彼女にとっての気持ちの表し方なのだ。そしてリンが歌にこめた気持ち、絵名はちゃんと理解していて、受け取っている。(『勝手に聴いてることにするね』のホームセリフはとてもいいぞ!全人類見ろ!)このツンデレとツンデレが言葉を介さずに気持ちを伝え合う光景、あまりに美しい。この節とくにキモいな、しょうがないでしょ絵名リン推しだし。キズナはよう。
あとは二葉ちゃん、かわいいし優しいし良いキャラクターだと思うのだけど、ビジュアルも声もある割には損な役回りだったなあという感じ。二葉ちゃんとしては、絵名の絵に魅力を感じているし、また仲良くしたい、というのは伝わってきたけれど、絵名があれじゃあなー。そりゃそうだ、絵名にしてみれば、二年ぶりに再会したら自分より遥か高みにいた友達と、そのことにコンプレックスを感じている自分が、何事もなかったかのようにまた友達に、なんて到底無理だろう。二葉ちゃんからしても、二年ぶりに会った友達は、絵の感想を聞かれて「先生の言うことは正しい」という感想を出さざるを得ないような状態で、絵名がそのことを気にしてないはずがなくて、それで「絵名の絵にも良さがあって好き」なんて言っても、今の彼女には届かないだろうって、多分わかってたはず(いや、二葉ちゃんの性格からしてわかっていない可能性もあるが、それはちょっと二葉ちゃんが嫌なキャラになりすぎる、絵名に絶望を与えるためだけに造形されたキャラクターになってしまう)。それでも絵名に気持ちを伝えようとした二葉ちゃんは、絵名からしてみれば残酷に映ったかもしれないが、とっても偉いと思う。そういう意味では二葉ちゃんも被害者だったかもしれないなあ。また出てきて、できれば、なんとか、仲良くなってほしい……。志歩イベントに出てきた未羽ちゃんとお互いにハッピーエンドで終わったのと対照的で、そこもしんどいポイントのひとつ……。
ここからは、愚痴。
多少調べると(twitterでちょっと漁っただけだが)雪平先生を良いキャラクターだとする向きが多いけれど、個人的にはそうは思わなかった。仮にも金をもらって生徒を教えようという人間が、あんなに他人に配慮しない人物でよいのだろうか。三日目終了後の描写はたしかにすごく良くて、絵名のことを気にかけていたのは伝わってきたが、それは言葉を選ばなくていいという理由にはならん……。中学生の絵名が、自分におごりがあったことはそうだとしても、それを真正面から言うか、普通?(だからニーゴモードのまふゆもどちらかといえば嫌いなキャラに分類される)あと、そんな生徒に送る葉書に、「またいつでも来てください」なんて書くか?だって、飛び出して二年(おそらく)絵を描いてない生徒が、どうなっているか、なんとなくわかるだろう?そんな生徒がまたやってきて、描いた絵にどんな講評するかも大体想像がつくだろう?それをお前は嫌だと思わないのか?まあ、友人の娘だから無下にもできんのかもしれんし、ただの営業文句かもしれないけど。
まあ、でも、腕があるから許されるのかなあ。メタな見方をすれば、雪平先生がそういう人物であることによって、絵名がいまいるところが客観的に際立つ……そう考えると嫌なキャラだな。あと、雪平先生がそういうキャラクターだからこそ、ポジティブな評価も嘘偽りないことが保証される、ということは言えるかもしれない。そもそもが、画塾ってのはそういうところなのかもしれないな。